中小企業を経営している経営者の中には「本当はいけない」と理解はしているものの、法令違反を黙認してしまっている人もいるのではないでしょうか。
そして「本当はいけないけどやりがち」な法令違反の最たる例に、未払い残業代が挙げられます。
残業代って、できれば支払いたくないものの1つですよね…。残業を認めてしまうと従業員たちがダラダラと仕事をしてしまうのではないかと考えてしまい、難しいところです。
たしかにそうですよね。しかし、未払い残業代の存在はM&Aにおいて大きな問題になりがちです。
この記事では、未払い残業代の存在がなぜM&Aで問題になるのかを解説し、未払い残業代の発覚により発生するペナルティと対処法もご紹介します。
2020年4月に改正となった労働基準法についても解説していますので、未払い残業代が気になっている経営者様は必見ですよ。
登場人物紹介
インバースコンサルティング株式会社の代表取締役で現役のM&Aコンサルタントでもあります。記事内ではM&Aに関する疑問にどんどんお答えしていきます!
中小企業を経営している社長です。後継者不在に悩んでいて、M&Aを検討している真っ只中にいます。いつもは困った顔をしていますが、たまに笑顔になります。
1章:未払い残業代の存在は買い手側にとって大きなリスクとなる
未払い残業代は、M&Aの際に買い手企業にとって大きなリスクとなります。
- 従業員から未払い残業代の支払いを求められるリスク
- 従業員から訴訟を起こされるリスク
買い手にとっては、M&Aで企業を買収した後に従業員と問題が起こるのは避けたいですよね。
たしかに。金銭的なリスクもさることながら、訴訟にまで発展すると正直面倒というか…「なんでこんな会社を買収してしまったんだ」と思われそうです…。
M&A後に従業員から未払い残業代を請求されたり訴訟を起こされたりすると、買い手企業は多大な時間とお金を費やすことになります。
さらに対応によっては、会社の信頼を落としてしまう事態にもなりかねません。
買い手側にとって未払い残業代は、引き継ぎたくない債務の1つといえるのです。
2章:未払い残業代がM&Aに与える影響
「未払い残業代が買い手側に大きなリスクを与える」ということは、買い手にとって「未払い残業代のある会社は買収したくない会社」ともいえます。
たとえM&Aが成立したとしても、未払い残業代の存在は確実にM&Aに影響を及ぼします。
売り手にとって不利な影響だということは、たやすく想像がつきますね…。
その通りです。未払い残業代の存在は、売り手にとって非常に不利な影響を与えます。
2-1 売却価額に影響する
未払い残業代の存在は、後に従業員との間でトラブルに発展しかねません。買い手側にとってはリスクを背負ってのM&Aとなります。
そのため買い手側からは、将来起こり得るトラブルを考慮した上での買収金額が提示されることになるでしょう。
単刀直入にいうと、売却価格が低く抑えられるということです。
なるほど。M&A後にトラブルが起こると、買い手側が損害を被ることになりますもんね。
2-2 過去の未払い残業代は簿外債務とみなされる
未払い残業代は、会社が労働時間を把握していないケースもあり、M&A時において簿外債務としてデューデリジェンス時に発覚する可能性があります。
貸借対照表に計上されていない債務のこと。未払い残業代の他には、退職給付引当金・リース債務・債務保証損失引当金などが多くみられる。
税務会計を採用していることの多い中小企業では、簿外債務の発生は決して珍しいことではありません。
しかし簿外債務の存在は、M&A実施後に買い手企業が投資金額を回収する際の障害となり得ます。
買い手企業が提示する買収金額は投資金額であり、M&A後の事業で回収すべき金額です。簿外債務により損害が発生すると、その分だけプラスに回収する必要が出てくるのです。
M&A後に従業員から未払い残業代の支払いを請求されると、支払うのは買い手企業ですものね。
買い手にとっては損害以外の何物でもないですよね。
3章:未払い残業代にはペナルティが発生する
未払いの残業代を従業員から請求された場合、未払い分をそのまま支払えばよいわけではありません。
残業代の未払いがあると会社に対してペナルティが発生し、未払い分以上の支払いが必要になります。
ペナルティの存在により、M&A後に未払い残業代が請求されると買い手に大きな経済的損失を与えてしまう可能性があります。
ここでは、未払いの残業代に課せられるペナルティをみてみましょう。
3-1 遅延損害金・遅延利息
2020(令和2)年4月に、労働基準法が一部改正されました。
そのため残業代の未払いによる遅延損害金と遅延利息は、2020年3月31日までの未払い残業代と、2020年4月1日以降の未払い残業代で異なります。
○従業員が在職中の場合
2020年3月31日まで | 2020年4月1日以降 | |
---|---|---|
遅延損害金または遅延利息 | 一般の会社に勤務していた場合は6%NPO法人・医療法人・学校などに勤務していた場合は5% | 業種・勤務先にかかわらず年6% |
○従業員が退職済みの場合
業種・勤務先にかかわらず年14.6%
3-2 付加金の発生
従業員から未払い残業代の支払いを求められて訴訟へと発展した場合、遅延損害金・遅延利息の他に付加金の支払いが発生する可能性があります。
裁判所から事業者に課せられる罰金のこと。上限は未払い金の金額と同一額
実際に企業が裁判所から上限額の付加金の支払いを命じられるケースは稀ですが、可能性がゼロではないことを覚えておきましょう。
なぜ上限の付加金を支払うケースが稀なのでしょうか?
労働事件の多くが、和解など訴訟以外の方法で解決しているからですよ。
なるほど。しかし訴訟以外でも話し合いや和解金など、時間とお金が余分にかかることは間違いないですね。
そうですね。そしてM&A後に従業員から未払い残業代を請求されると、買い手企業がこれら全ての対応を行う必要が出てくるのです。
ひええ。未払い残業代が買い手にとって重大なリスクだというのも納得です。
4章:M&A時に未払い残業代が発覚した場合の対処法
未払い残業代がM&Aでは大きなリスクとなることは分かりましたが、そもそも我々売り手が気付いていないケースもありますよね。
そうですね。デューデリジェンスで発覚して、売り手自身もビックリというケースも実際に存在します。
そういう時は、M&A契約までに改善できるのでしょうか。
最終譲渡契約までに改善することもできますよ。そうすれば買い手との信頼関係もさらに深められます。
4-1 M&A交渉前に従業員に支払う
未払い残業代の存在が発覚した場合は、できるだけ早く該当従業員への支払いを済ませましょう。
複数の従業員に未払い残業代があるケースなどでは支払総額が多額になり、会社の財政を圧迫する状況になってしまうかもしれません。
しかし未払いの残業代は、本来であれば従業員への支払いが済んでいるはずです。
また、残業代の支払いは労働基準法第37条により義務付けられています。
たとえ従業員との間で「残業代の支払いはしない」という約束を取り付けていたとしても、それは法律に反しているため無効となります。
M&Aの検討の有無に関わらず、早急に支払いを済ませてくださいね。
未払い残業代を一括で支払うことが難しい場合などは、専門家に相談して適切に対処しましょう。
一時的な負担は大きいかもしれませんが、その後のM&A交渉まで視野に入れたときには、メリットの方が大きくなるはずですよ。
4-2 就業規則の見直しなど改善策を講じる
そもそも未払い残業代の発生は、複数の要因が絡み合って起きているケースがほとんどです。
自社のケースに当てはめて、なぜ未払い残業代が発生したのか原因を突き止め、改善策を講じましょう。
もちろん、既に発生している未払い残業代の支払いを済ませることが第一です。その上で、未払い残業代を生み出さない仕組みを会社に作ってください。
4-3 M&Aの売却額で対応する
- M&A完了までに未払い残業代の支払いが間に合わない
- 将来従業員から未払い残業代を請求されるかもしれない
このようなケースでは、買い手が将来支払うことになると予想される金額を、あらかじめ売却価格から差し引いてM&A交渉を進める方法もあります。
譲渡価格から未払い残業代分をマイナスしておくことで、直接ではないものの「売り手が支払ったこと」にするというわけです。
4-4 表明保証や特別補償で対応する
デューデリジェンス後に未払い残業代が発覚した場合、買い手の損失を避けるために表明保証条項を制定しておくことが有効です。
売り手が買い手に対して提示した内容に相違や虚偽がなく、潜在債務や偶発債務が存在しないことを表明し、表明した内容を保証するもの
つまり、売り手が買い手に対して「私たちは全ての情報を開示しています。開示した情報に嘘はありません」と宣言するようなイメージです。
表明保証違反が発生すると、買い手は売り手に対して損害賠償請求の実行が可能になります。
M&A後に未払い残業代が発覚することは表明保証違反に該当するため、損害賠償の支払いで買い手が被った損害を補うというわけです。
譲渡契約を締結する時点で問題を把握しているものの、解決に必要な金額の見積もりが困難なケースも存在します。
その場合は特別補償条項として、問題解決にかかった費用は売り手が負担する旨の取り決めを行います。
4-5 M&Aのスキームを変更して対応する
株式譲渡で進めていたM&A交渉を、事業譲渡に切り替える方法も効果的です。
譲渡対象を個別に決めて譲渡を実行するM&Aスキーム(手法)。負債を手元に残して事業のみの譲渡が可能
なるほど。未払い残業代を会社に残し、譲渡しても問題ない部分のみを譲渡するということですね。
その通りです。事業譲渡で得た譲渡益を、未払い残業代の支払いに充てることもできますよ。
5章:2020年4月から労働基準法改正点が中小企業にも適用された点に注意
2018年の通常国会で「働き方改革」の一環として、労働基準法の改正が決まりました。
大企業では2019年から新しいルールが適用されていましたが、2020年4月からは中小企業も新ルールの対象となっています。
法律を守ることは、全ての経営者の義務です。「知らなかった」では済まされないため、しっかりと確認しておきましょう。
5-1 時間外労働の上限規制
新しいルールでは、時間外労働に上限が設けられました。
時間外労働の上限は、原則として月に45時間・年間で360時間まで
※休日労働は含まず
臨時的かつ特別な事情があり労使が合意する場合でも、以下の順守が必要です。
- 時間外労働:年720時間以内
- 時間外労働+休日労働:月100時間未満・2~6ヶ月平均80時間以内
- 原則である月45時間を超えられるのはは1年(12ヶ月)で6ヶ月まで
上限を超えた労働は、罰則の対象となります。
罰則:6ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金
これまでも労働時間の上限は定められていましたが、罰則に対する強制力がないことが問題でした。
また、会社は特別条項を設けることで、時間外労働の上限を撤廃できたのです。
M&Aでは新しいルールがきちんと守られているかどうかも重要視されます。違反がないかしっかりと確認しておきましょう。
5-2 未払い残業の請求期間延長
時間外労働の上限規制とともに、未払い残業代の請求可能期間も延長されました。
新しく定められた3つのルールを順に見ていきましょう。
○ 賃金請求権の消滅時効期間の延長
2020年の労働基準法改正により、未払い残業代の消滅時効期間(以下時効とする)が2年から3年に延長されました。
ただしこれは一時的なものです。将来的には5年に延長されることが決まっているんですよ。
5年になることは決まっているのですね!それはなぜでしょうか。
実は未払い残業代の時効は、民法にもルールが制定されています。
そして2020年の民法改正により、労働にかかわる債権の時効が5年に延長されました。
それに合わせて、労働基準法も5年に改正されています。
しかし今まで2年だった時効をいきなり5年に延長すると中小企業にかかる負担が大きいことから、当面の間は3年としているのです。
なるほど。中小企業の負担を考慮して、段階的に時効を伸ばしていくということですね。
その通りです。ちょっと複雑ですよね。
○ 賃金台帳などの記録の保存期間の延長
未払い残業代請求の時効が5年に延長されたことを受けて、賃金台帳などの記録を保存しておく期間も5年に延長されました。
しかし当面の間は時効が3年なので、記録の保存期間もそれに合わせて3年となっています。
現在も3年なので、これに関してはひとまず変更なしという認識で大丈夫でしょうか。
実は保存期間以外にも、重要な変更点があるんですよ。
記録の保存期間の起算日が「賃金支払い日」と明確化された
例えば2020年3月分の賃金支払い日が4月20日だった場合は、保存年数の起算日は4月20日となります。
特に2020年3月分の賃金に関しては、保存期間に注意が必要ですね。
○ 付加金の請求期間の延長
未払い残業代の請求可能期間が2年から3年に延長されたことを受け、未払い残業代への付加金も2年から3年に延長されました。
もしかしてこれもゆくゆくは5年になるやつなのでは…?
さすが社長!大正解です。未払い残業代の請求可能期間の延長に合わせて、将来的には5年に延長されますよ。
時効の延長に合わせて、関連する全ての事柄が延長されるという認識ですね。
まとめ
残業代の支払いは、法律で義務付けられています。そのため未払いの残業代が発覚した際には、速やかに支払いを完了させなくてはなりません。
さらに未払い残業代の存在は、売却価格に影響を及ぼしたり買い手が見つかりにくくなったりと、M&Aにおいて大きなリスクとなります。
法令違反を犯している事に加え、従業員とのトラブルが予想される問題を抱えている会社は、買い手としてもあまり買収したくないですよね。
M&Aの交渉中に未払い残業代が発覚したら、以下の対策を検討し解決を目指しましょう。
- 速やかに該当従業員への支払いを済ませる
- 就業規則を見直して未払い残業代が発生しない仕組みを作る
- M&Aの売却額を減らして交渉する
- 表明保証や特別補償で対応する
- M&Aのスキームを株式譲渡から事業譲渡へ変更する
また、2020年4月に労働基準法の改正点が中小企業にも適用されるようになりました。
未払い残業代を請求できる期間が2年から3年になり、ゆくゆくは5年にまで延長されます。
それにともない賃金台帳などの記録類や付加金の請求期間も延長になっていますので、しっかりと確認し対応しておきましょう。
未払い残業代があるとペナルティが発生し、未払い金額以上の支払いが必要になります。たとえM&Aを検討していなくても、残業代の支払い状況を確認しておくと安心ですね。